---時計職人は月の夢を見る---
1999年12月4日午前10時から10時30分
(NHKハイビジョン番組「ふるさとから」0年1月22日(土)NHK総合で再放送

25年間星空のもと、ただひたすらに月を追う写真家がいます。
佐藤昌三さん56歳広島県福山市に住むアマチュアの天文写真家です。

自宅の裏庭に置かれた天体望遠鏡で日々月を撮り続けています。
佐藤さんが月の写真に興味を持ったのは今から25年前。 写真雑誌に掲載されていた鮮明な月面写真を偶然目にしたのがきっかけでした。
それからすぐに天体望遠鏡を購入。以来月面ばかりを撮り続けてきました。 様々なコンテストへの入賞回数は200回を越えています。 月面を高い倍率で捉えたその写真は日本の天文マニアの間でもトップクラスです。 マニアの間では西日本に佐藤ありと言われるまでになっています。
「倍率を上げて見ますと要するに月に接近して眺めるような感じになるんですね。もう、目で見たら38万キロの距離ですけれども、倍率を上げていくとそれが5分の1とか、10分の1とか、20分の1接近して見るようになるんで、それで錯覚を起こすくらい、ほんま月の上空から見ているだなというように、条件のいい時はすごくきれいに見えますから。」
佐藤さんの写真は月のクレーターの中にある更に小さなクレーターまで写し出します。「神酒の海」と呼ばれる平坦な地形にかすかに小さな窪みがたくさん見えています。この窪みの直径はおよそ2キロメートル。東京から名古屋にいる人間の姿が見えるほどの拡大率です。より小さなクレーターをより鮮明に写し撮りたい、そうした欲求がこれまで佐藤さんに月面を撮り続けさせてきたのです。
佐藤さんは時計の修理を専門とする時計職人です。通信教育で時計の修理を学び、二十歳の時から時計と共に生きてきました。 この道36年のベテランです。この懐中時計では歯車の軸の太さはわずかに0.1ミリ。 折れてしまった軸の修理では100分の1ミリ単位という非常に細かい精度を求められます。 右目にはめた「キズミ」と呼ばれるルーペだけを手がかりに佐藤さんはミクロの世界を日々見つめ続けているのです。今から20年前佐藤さんはそれまで勤めていた時計店から独立し、 広島県福山市の郊外にある自宅に小さな時計店を開きました。 以来佐藤さんは6月10日の時の記念日に毎年1点ずつ手作りの時計を作り続けています。 修理だけでは培えない時計職人としての技術を向上させようと始めたものです。 そうして作られた時計の数々は見た人を驚かせるユニークな物ばかりです。
昭和54年の時の記念日に作った手作り時計の第1作。本来ならば上からぶら下がった状態で左右に振れる振り子が、 メトロノームのように上向きに振れる仕組みは佐藤さんだけの企業秘密です。

ぜんまいや電池などの動力を一切使わずに時計本体の重さで動く重力時計。 文字盤に使われているのは自分で撮影した月面の写真です。宙に浮かんだ月が時を刻み続けます。

時報に合わせてピノキオの人形が釘を打つからくり時計。桑の木で作られた人形も、人形を動かす仕掛けもすべて佐藤さんの手作りです。
「やはりありますねー、人をびっくりさせてやるということをねー。まあそれが時計職人の技というか、 技の見せ所ということで、アイディアがもしあっても技術がなかったら作れないですからね。」

時計職人といえば誰もが憧れるといわれた資格CMW(Certified Master Watchmaker)すなわち高級時計師。日本でわずか800人しか合格できなかったこの試験に佐藤さんは史上最年少のわずか23歳で合格しました。
しかし佐藤さんが店を開いたのはクォーツ時計が飛躍的に普及し始めた時期でした。

時計修理の件数はいっきに少なくなり、時計職人の多くが職を離れていきました。それでも佐藤さんは修理をやめようとは思いませんでした。お客さんが持ってくる時計はその人の人生の大切な思い出を刻む物だからです。

「ああ、30年でね、初めて分解掃除?」「ええ、初めて。」「よー動いたねー。」「これがないとねー。」「やっぱーあれでしょう、年輩の人は時報を打つんがええ言うて。寝ょうても今何時じゃな言うんが分かるんで。」「ほいじゃけ、こりゃ離されんのですよ。」現在佐藤さんのもとに持ち込まれる時計は1日平均1個。かつての10分の1に過ぎません        次へ→